真珠貝採取母船「山陽丸」の難破船エキシビションが開催中。

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1937年7月。オーストラリアのダーウィン沖で真珠貝採取母船「山陽丸」(Sanyo Maru)が沈没しました。

その難破船山陽丸の展示がダーウィンで開催中(4月3日から5月1日まで)というKatherine Timesのニュース。

Katherine Times Sanyo Maru shipwreck exhibition at Live Darwin

 山陽丸は真珠貝採取(pearling )をしている船への食料や燃料を運び、採取した真珠貝を(時には病人を)パラオまで輸送するという役割をしていたようです。その山陽丸は1935年に造船された新しい船でした。

 1937年頃のオーストラリアの真珠貝採取業は政府から補助金を貰わなければならないほど下降線をたどっていました。世界景気が怪しくなっていたこと、真珠貝(白蝶貝)にかわる素材の登場で、白蝶貝の価格が下がっていったことが理由です。

 まだ白蝶貝の真珠養殖は行われていません。当時の真珠産業は白蝶貝を海に潜って採取することでした。記事にあるpearling という言葉は、今では真珠養殖を含めた真珠産業の意味で使われるていることもあるのでややこしいのですが。

 なぜ日本の難破船がオーストラリアで一か月近くも展示されるんだろう?と疑問に思ったのですが、山陽丸の遺物は1930年代当時の生活や真珠産業の様子がわかる貴重な資料となっているようです。日本にも展示こないかなあ。

 

Katherine Times記事から抜粋。(Google翻訳をもとに意訳)

過去の人生と未来への教訓について、沈没船からは信じられないほどの洞察を得ることができます。

母船は、海洋での真珠採り作業員にとって重要な生命線です。食糧・燃料・必需品を提供することは真珠採り業務の継続になくてはならないものでした。

「当時の盛んだった真珠産業とは主に真珠貝殻の採取でした。それはファッションの重要な部分で、衣服に美的で機能的なパーツを提供しました。つまりボタンを作られたのです。この魅力的な有機複合素材は、この時期から建築、ファッション、楽器、家具、その他の装飾品にも大きく取り入れられました。

沈没した山陽丸内部。 沈没した真珠貝輸送船山陽丸の内部。

Sanyo Maru shipwreck exhibition at Live Darwin

“Shipwrecks provide an incredible insight into lives past and lessons for the future. Motherships were a vital lifeline for pearling luggers in our seas, delivering food, fuel and necessities to ensure the continuity of pearling operations to keep up with supply,” Mr Wells said.

“Our flourishing pearling industry around this time was mainly mother-of-pearl, and was an important part of fashion, providing an aesthetic yet functional addition to clothes; namely making up buttons. This stunning organic composite material also features heavily in architecture, fashion, musical instruments, furniture and other decorative pieces from around this time.

 

参考資料 オーストラリア国立沈没船データベース 

View Shipwreck - Sanyo Maru

Australian National Shipwreck Database

 

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