ミャンマー南洋真珠とリゾート開発

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 ミャンマーの真珠は白蝶貝から生まれる南洋真珠です。
ミャンマー産南洋真珠はミャンマー南部タニンダリー管区にあるメェイ群島(英語表記はMyeik、ベイ、メルギー群島とも呼ばれる)で養殖されています。 最近はリゾート開発もされている地域です。
 私は2015年にミャンマー南部を旅行しました。ヤンゴンから延々バスで降りていきましたが、メェイまでたどり着かず、手前のダウェイで帰国日が迫りタイムアウトになってしまいました。道路もまだ未舗装が多く時間がかかります。時間のない人は飛行機を使いましょう。
バックパッカーなら陸路バンコクからナムロン国境を越えダウェイに向かうと近いです。ダウェイからメェイまでのアクセスは飛行機以外にもバスと船があります。

メェイ群島の風景 メェイ(メルギー)群島

 画像はhttp://www.fieldgemology.orgより

ミャンマーの真珠は絶好調のようです、こんな記事が4月に出ていました。

ミャンマー ビジネス ニュースダイジェスト 日緬関係のニュースをピックアップ

ミャンマーで南洋真珠の養殖が絶好調

ミャンマー南部のタニンダリー管区ベイ諸島で行われている南洋真珠の養殖事業が絶好調で、毎年の生産計画を大きく上回っている。周辺の海水の状態や自然が真珠養殖に最適な環境となっているためで、品質的にも世界のトップクラスに入るレベルという。

 真珠養殖の島を管理するティン・マウン・エー氏は「真珠の色、形、サイズどれをとっても卓越した品質。昔の養殖方法は自然に育った母貝を探して真珠を生産していたが、今は人口採苗で稚貝から養殖している。この方法では自然環境の破壊はない」とコメント。

現在、ベイ諸島で真珠の養殖事業を行っている企業は10社あり、新規の参入者も歓迎している。

 http://myanmarjapon.com/newsdigest/2016/04/13-001089.php
外套膜のピースを刻む 外套膜のピースを刻むビルマ人。http://www.fieldgemology.org

  *その他の参考サイト GIAフィールドジェモロジストがミャンマーのメルギー近くの真珠養殖場を訪れる

 真珠養殖の島を管理するティン・マウン・エー氏は「この方法では自然環境の破壊はない」とコメントしています。
が、密殖(密度過剰な養殖)による海洋汚染(海の疲弊)は度々起きています。人工採苗の技術が確立していれば母貝(真珠養殖するための貝)を過剰に供給することもでき、密殖につながりやすい。また真珠養殖では貝の老廃物は少しづつ海底に堆積していきます。環境に負荷がかからないということはありません。
私は新規参入を制限するか、または生産量をコントロールすべきであると思います。もちろん生産する真珠の価格を維持するためにも。この点については記事では確認できませんでしたけど。

myanmarpearl.comのサイト Myanmar Pearl Enterpriseのサイト。 ミャンマーの南洋真珠 上記MPEのサイトよりミャンマーの南洋真珠。シルバーとゴールド。

 

 ミャンマーでも密殖(密度過剰な養殖)は起きていたかも?!

ミャンマーの真珠養殖の歴史を見てみましょう。


 1890年以前 白蝶貝の採取は小型の木船で漁場を求めて島から島へと移動している海洋民族(Moken Selung, Salone)が行っていた。
 1890年 イギリスの植民地時代に貝を収集するための漁業規定が公布される。
 1912年 海外からの69隻を含む114隻貝採取のダイビング船がいた。

 このあたりまでは貝ボタンのための真珠貝採取です。貝殻がメインでした。

この後、真珠養殖技術を導入したのは日本人。


 1954年 日本人の高島真珠の高島吉郎氏が「サウスシーパール社」を設立し、10月に真珠養殖事業を開始。国内企業との合弁であった。3年後の1957年に2466個、1637.89匁*1の浜揚げ(=真珠を収穫すること)があった。これらは第2次世界大戦後世界で最初の南洋真珠の収穫である。
 1964年 若いミャンマー生物学者が日本人の協力なしで貝に挿核を開始。

 1966年 ミャンマーの技術者が真珠養殖に成功。12月に4281個3091.50匁の浜揚げ。日本人に挿核の訓練を受けなかった技術者ばかりであった。 
 1969年 初めて商業ベースの浜揚げ。南洋真珠 3485個1919.70匁。こののちミャンマー南洋真珠はミャンマー宝石翡翠真珠展示競売会場で販売されるようになった。
 1983年 ミャンマー生産では最高となる、最高品質の真珠17貫以上が浜揚げされた。しかし、その後の感染症の流行により多くの貝が斃死し、供給が不十分になり、さらなる増産の試みは失敗した。回復には10年間という非常に長い時間がかかった。  
  2001年に真珠24貫を生産。ミャンマー真珠産業は2005~2006年度に160 貫の収穫が期待されている。 現在(2004年?)は2社のローカル企業、3社の外資企業がある。

 英語原文http://www.mining.gov.mm/MPE/1.MPE/details.asp?submenuID=20&sid=64
 (日本語訳はhttp://mtrips.exblog.jp/19198570/を参考にしました。)

赤字部分に目がとまりました。

 多くの貝が斃死したのは、急に真珠貝の数を増やそうとして無理な養殖をしたせいなのではないでしょうか。1980年代のタヒチ・オーストラリア、90年代の日本でも真珠貝の大量死が起きています。

 リゾート開発 VS 真珠養殖

メェイ(ベイ)群島はまだまだ開発されていない地域らしいです。確かにアクセス不便すぎです。しかし、開発される前に行ってみたい。リゾート開発に関してこんなニュースがありました。

ミャンマーのベイ群島ディベロッパー、日本の真珠養殖と衝突 23rd May, 2016

現地ディベロッパーによるベイ群島にアイランドリゾートを建設する計画が、事業が養殖場に影響を与えると訴えた日本真珠大手企業タサキのミャンマー子会社により水を掛けられた。

Myeik Public Corporation社はアダマン海にある2つの島の開発の承認を得ようとミャンマー投資委員会に2年前から働きかけており、2015年9月にそのうちの一つであるSaw Mon Hlaと呼ばれる島の開発仮承認を得ている。

ベイからボートで3時間の場所にある同事業の開発は、12月に許可を得ることができると同社は期待していた。しかしながら、MICはこの開発がミャンマータサキの真珠養殖エリアを侵害する恐れがあるとして計画中止を言い渡した。

(略)

「私たちは承認を得ようと何年も費やし、最初の段階の承認を得ていた」とMyeik Public Corporation社の事業責任者であるThet Soe氏は述べた。

「しかし最後にMICと最終承認を取るために協議した時、ミャンマータサキが真珠養殖エリアを拡大する場所に掛かるとしてSaw Mon Hla島の開発に反対してきた」。(略)「私たちはタサキと交渉を行っているが、彼らが聞き入れてくれるかは分からない」。
(略)
「群島には多くの美しい場所があるが観光事業をひきつける施設やリゾートが少ない」とMyeik Public Corporation社の事業責任者Aung Chain氏はミャンマータイムズに昨年語っている。

ホテル・観光省によると、2014年末時点で同地区には196のモーテルと5つ星ホテルがあるのみである。
(Myanmar Times 2016年2月26日版 第12面より)
http://www.sagaasialaw.com/myanmarnews/1363

 

 ミャンマーの美しい海を巡って、観光開発か?真珠産業か?という対立が起きました。しかしMIC(ミャンマー投資委員会)はミャンマータサキを支持したようです。
 ニュースに出てくるミャンマータサキとは、日本で株式上場しているTASAKI(田崎真珠)の子会社です。(http://www.tasaki.co.jp/)
2001年に設立されています。
TASAKIの有価証券報告書によれば2015年南洋真珠養殖浜揚げ実績は207,000貝(前年比102%)となっています。ここ数年は毎年20万貝前後の浜揚げのようです。
 (浜揚げ実績207,000貝なら、かなりの量の真珠を生産しているのではないでしょうか?150貫?200貫?)
直近の2016年第2四半期報告書には「ミャンマー産南洋真珠入札会が前年に続き堅調な結果を残した」との記述があります。
ここからもミャンマー産南洋真珠養殖が好調であることが伺われますね。

 

2年ほど前、アジア最後のフロンティアと進出ブームが起きたミャンマーですが、ミャンマー産南洋真珠も注目です。もちろんリゾートも!

バックパッカーにもお奨め。

ミャンマー南部ダウェイのビーチ 筆者が滞在したミャンマー南部ダウェイのビーチ!2015年。

*1 1貫=1000匁=3.75㎏。真珠の重量単位で使われる。日本の尺貫法。

 

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