真珠貝移民、真珠貝ダイバー。

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司馬遼太郎の短編「木曜島の夜会」で知られる真珠貝ダイバー(パールダイバー)の記事が二つあった。

以前も取り上げたけれど「木曜島の夜会」とは。

内容紹介
オーストラリアとニューギニアの間にあるトレス諸島。その中のひとつ、木曜島では、明治時代から太平洋戦争前まで、海底にいる白蝶貝を採るために日本人ダイヴァーが活躍していた。サメの恐怖、潜水病との戦いに耐えつつ、異国の海に潜り続けた男たちの哀歓と軌跡から日本人を描き出した表題作他… 木曜島の夜会 (文春文庫) 

司馬遼太郎は“真珠貝ダイバー”を語りながら日本人論を展開している。また当時の日本人コミュティの様子が興味深い。

もう詳細を忘れているので、後で本を読み返してみたい。

さて、1月26日の日本経済新聞の記事。

真珠貝移民の歴史知って 本州最南端、和歌山・串本

本州最南端の和歌山県串本町にある小さな無料休憩所が好評だ。オープンから4年半で約35万人が訪問した。1870年以降、同町の多くの若者がオーストラリア北部のアラフラ海で高級ボタンの材料となる真珠貝の採取に従事した歴史があり、休憩所には当時使われた潜水具などを展示。海を越えた意外な移民史が人々をひきつけている。

「真珠貝移民」という単語は初めて見るが、「真珠貝ダイバーは真珠を採る仕事」と勘違いをする人が多いので、かえってわかりやすいかもしれない。パールダイバーとも呼ばれて混同されることが多いのだ。「真珠貝移民」は一般的な言葉になるかな?

 1月19日の紀伊民報。

 来日してる大学生が「現地での写真や家族への手紙など、ダイバーの日常を知る資料を研究したい」と協力を呼び掛けているという記事。

紀南に滞在し真珠貝ダイバー研究 英大学院生が協力呼び掛け

 ドトゥロンさんの専攻は日本史。現在は1800年代後半に海外に渡った真珠貝採取のダイバーを中心に研究している。当時の紀南地方が経済的、文化的にどんな状況にあったか、海外に出たダイバーが故郷とどんなつながりを維持していたかなどが知りたいという。

 ドトゥロンさんは「日本の開国は西洋中心で語られるが、真珠貝ダイバーをたどるとまったく新しい歴史が見えてくる」と研究の魅力を語る。ダイバーはオーストラリア大陸の先住民アボリジニらと協力し、危険な潜水作業に従事していた。調べるうち、日本人ダイバーはアボリジニと酒を回し飲みするなど、現地の外国人らと交流を深めていたことが分かってきた。(紀伊民報)

さて、記事の「日本人ダイバーはアボリジニと酒を回し飲みするなど、現地の外国人らと交流を深めていたことが分かってきた」という部分。

現地の外国人らと交流を深めていただろうが、問題も起こしていたことを付け加えたい。

当時のオーストラリアは階級社会。少数の白人が最高位で、ブルームで日本人はその仕事ぶり(潜水能力)もあり人数も増え、白人に次ぐ位置になったわけだけれど。日本人はその下に位置するアボリジニ(先住民族)を仕事上で暴行・虐待していた事実がある。ブルームではそれがもとで何度も(1907年、1914年、1920年)、人種間対立による暴動・乱闘騒ぎが起こっている。(※参考「西オーストラリア 日本交流史」 日本評論社刊)

マイナス面も知っておかなければいけないだろうと思う。

「真珠貝ダイバーをたどるとまったく新しい歴史が見えてくる」という。真珠貝ダイバーは私も興味を持っていたテーマなので研究成果が楽しみだ。

 

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