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真珠王パスパレイファミリーの1世紀。ギリシャの移民が真珠王になるまで。

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ギリシア系の記事サイトにパスパレイパールの記事が載っていた。

パスパレイパールはオーストラリアで南洋真珠(白蝶貝真珠)の養殖をしている有名企業だ。

Greek-Australian Paspaley Family Celebrates One Century as the “Kings of Pearls”

記事によれば、パスパリス(後にパスパレイと改名)一家は移民だったらしい。

1919年にギリシャからオーストラリアの海岸に移住し、西オーストラリアに定住した。つまり、今年2019年でちょうど1世紀なのだ。

記事のタイトルだけ読むと、真珠事業をはじめてから1世紀?と早とちりしてしまいそうだが移住してから1世紀=100年なのである。

見出しにでてくるKings of Pearls、真珠王とくれば、日本人なら御木本幸吉を思い浮かべるだろう。

その御木本幸吉が創業した御木本真珠も1993年に真珠発明100年を祝っている。(これは1893年に半円真珠の実験が成功したということで、正確には真珠発明100年というわけではなかったことは書いておきたい。日本の発明した養殖真珠とは真円真珠であり半円真珠ではないからだ。その発明者も御木本幸吉ではない。御木本幸吉は真珠養殖の事業化に成功したのである。)

それはさておき。

1930年代、息子の19歳のニコラス・パスパリスSr.が最初の“Pearling lugger”船を購入し、(略) <以下引用はgoogle翻訳>

と記事にある。パスパリス一家はPearling lugger、真珠貝採取船を購入しシロチョウガイ採取事業に乗り出したのだ。多くの人が勘違いしているのだが、当時のオーストラリアの真珠産業とは真珠貝採取事業で、たまたま見つかった真珠は副産物にすぎなかった。貝殻は高級ボタンの材料になった。

*シロチョウガイによる真珠養殖は、三菱の岩崎男爵が1916年フィリピンのミンダナオ島サンボアンガ近くで、藤田輔世の下で着手している。

この事業に乗り出した日本人もいたし、移住した日本人真珠貝ダイバーも多くいて、司馬遼太郎の小説「木曜島の夜会」として有名だ。

真珠貝採取産業は第2次世界大戦により中断。日本人は帰国、残った日本人は強制収容所へ。真珠貝採取産業は壊滅した。

戦後にパスパレイは真珠貝採取を再開するのだが。

1950年代半ばのプラスチックボタンの発明により真珠貝採取ビジネスが崩壊してしまう。

しかし、この突然の出来事はパスパリーを阻止しませんでした。活況を呈している日本の「アコヤ」養殖真珠産業の成功に触発され、彼は北オーストラリアの豊富で優れたシロチョウガイの生息地を利用して、世界最大かつ最も価値のある養殖真珠、南洋真珠(シロチョウガイ真珠)の養殖を目指しました。

ここで、パスパレイファミリーは真珠養殖に乗り出すのである。約半世紀前ということになる。


1967年頃、他の真珠採掘労働者と彼の妹のメアリーとポーズをとった真珠採取起業家のニコラス・パスパレイ・シニアは、戦前に養殖真珠のプロジェクトを開拓してきた岩崎/三菱の専門家を雇用して、日本の栗林ファミリーとの合弁事業の交渉をしました。

(略)

オーストラリア政府はすぐに、オーストラリアの最初の2つの真珠養殖場の設立を承認しました。1つはKuri Bay(栗林にちなんで命名)、もう1つはポートエシントンにあります。当初、Kuri Bayプロジェクトは栗林ファミリーによって管理され、ポートエシントンプロジェクトはパスパリーパールリング社によって管理されていました。

(栗林ファミリーというのは後の日宝真珠。もともと真珠養殖業者ではなく真珠貝採取事業者だったらしい。記事には「栗林ファミリー自身は真珠養殖の経験はありませんでした」とある。岩崎/三菱の専門家というのは前述の岩崎男爵だろうか。)

ところで、当時の日本には「真珠養殖事業法」という法律があり、日本の養殖真珠産業は手厚く保護されていたのだが、その内容は

水産庁長官通達の「海外真珠養殖3原則」は、(1)養殖真珠技術の非公開、(2)海外で養殖された真珠はすべて日本に持ち帰ること、(3)海外で真珠養殖を行う際、どこでどんな母貝を使用し、どれだけ生産するかを予め届け出て許可を得ること。海外でのアコヤ真珠養殖の禁止、というものであった。CGL通信 vol16 「真珠講座3『真珠養殖のグローバル化』」

こんなガチガチでは合弁事業も難しかっただろう。

日本の真珠(主にアコヤ真珠)はこの「海外真珠養殖3原則」により守られていたわけだが、そのため真珠養殖のグローバル化に後れを取ってしまう。技術も市場も独占していたこの時期にどんどん海外に進出するべきだった。

1989年、ニックパスパレイジュニアが経営を掌握し、2つのプロジェクトはPaspaley Pearling Companyの名前で合併されました。

そして、現在にいたる。

今日、Paspaley Pearling Companyはオーストラリア最大かつ最古の真珠企業として知られており、南洋真珠を高級ジュエリー業界に供給しています。非常に成功したギリシャ系オーストラリアのファミリー企業は現在、不動産やその他のビジネスベンチャーにも多様化しています。

記事はギリシャの移民が(南洋)真珠王になるまでというパスパレイ100年のストーリーだった。

第二次世界大戦が起きなければ日本人移民が(南洋)真珠王になっていたかもしれないと夢想する。

また、海外真珠養殖3原則がなければ、もっと日系の真珠養殖会社が海外にできていただろう。

ところで、御木本真珠の100年は渋沢社史データベースの(株)ミキモト『御木本真珠発明100年史』(1994.07)が詳しい。これはこれでとても興味深い。

 

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