真珠本位制の幻。真珠が裏付けとなった?!日本陸海軍の軍票。

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8月になると、メディアも様々な特集を組み、戦争について考える機会が多くなる。

戦時下の養殖真珠の話は以前にも書いたことがあったが再び書く。

 

1940年(昭和15年)

 取引明瞭化・金融・輸出促進のために日本真珠販売統制株式会社が設立される。奢侈品製造販売制限規則により、薬用以外の真珠養殖が禁止になる。

1941年(昭和16年)

 7月から8月にかけての英米の対日資産凍結(ABCD包囲網)により、真珠の輸出が途絶する。

1942年(昭和17年)

 日本真珠販売統制株式会社を日本合同真珠株式会社に改称。業者救済のため、真珠を担保に国民厚生金庫から共済資金を借り入れ。

少々長いが以下引用。

 戦時統制 (略) 昭和18年度陸海軍省の注文にてネックレースの完成品2万点を売ったことがあるが、かかる多量の注文は従来真珠業界にかつてないことで、これは当時大東亜戦争もサイパンの陥落の頃から戦況不利で志那大陸をはじめ各地で発行されている軍票では現地での食料をはじめ諸物資を買い入れることがはなはだ困難であったので、(略)日本合同真珠株式会社には国民厚生金庫へ担保としている真珠があるのでこれを軍票の裏付けとすることを進言したところ(略)500万円の真珠買い上げが決定し、陸軍はこの真珠を上海方面に送付したらしい。その後満州軍からも800万円で買い上げられた。(後略)「真珠の事典より」

当時の500万円は現在の物価では25億円くらい?

参考 日本円貨幣価値計算機

CPI:1944年(S19)の5,000,000円は、2017年(H29)の2,532,391,939円にあたります(506倍)

GDP:1944年(S19)の5,000,000円は、2017年(H29)の3,787,455,304円にあたります(757倍)

 

宝石商ローゼンタールの自叙伝にこういう記述があるらしい。これも「真珠の事典」より。

宝石商ローゼンタールの自叙伝

 (略)1940年ドイツ軍の来襲が迫ったとき私はパリをのがれてポルトガル、南米を経てニューヨークに落ち着いて真珠を取り扱うことになったが、(略) ようやく養殖物に興味をもつようになり、次第に大量に売買するようになって(略) 折しも日本では軍の旗色が悪くなって日本真珠業者は上海で真珠を売り急いだので私はそれを大いに買った。

上海に送られた真珠は敵国アメリカの宝石商が買っていた、、、。

パリでは養殖真珠を紛い物扱いしていた宝石商ローゼンタールが、戦火を逃れアメリカに渡り、天然真珠から養殖真珠に興味を移していくくだりも気になるポイントだ。

また、文中には日本真珠業者が売り急いだとあるが、もちろん売り急いだのは戦費に困った日本軍だったのだろう。

それにしても、真珠の価値を裏付けにした貨幣(軍票)とは!

まさに真珠本位制が日本で誕生したかもしれないことを想像するととても興味深い。前述の通り、国家非常時ということで真珠養殖は禁止されていたのでまったくの幻なのであるが。

 

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