世界で初めて真珠の養殖技術研究が行われた神奈川県。「真珠養殖で海を学ぶ 教育 卒業記念に児童へ贈呈も」。
10月20日の神奈川県タウンニュースの記事。
神奈川県にある東京大学三崎臨海実験所が「世界で初めて真珠の養殖技術研究が行われた」場所だったということにちなんで、真珠養殖に触れる教育を行っているという記事だ。
真珠養殖で海を学ぶ 教育 卒業記念に児童へ贈呈も
諸磯湾や油壺湾、東京大学三崎臨海実験所、京急油壺マリンパークなど「海」が身近にある名向小学校。近年では、地元NPO法人「小網代パール海育隊」(出口浩代表)などと連携し、海洋教育にも注力。その一環として「三浦真珠」の養殖に取り組んでいる。小網代湾は明治期に世界で初めて真珠の養殖技術研究が行われた海。児童たちは地域の自然や産業について学びを深め、母貝であるアコヤガイへの核入れや出来上がった真珠を取り出す浜揚げを体験している。
以前にも同様の記事を読んだような記憶があるので恒例行事となっているのか。
記事では「世界で初めて真珠の養殖技術研究が行われた」となっている。(同時期に日本以外にも研究者がいたので確かめるべきだけど未確認)
世界ではじめて真珠養殖を事業化した御木本幸吉の養殖場は三重県にあるので、初めての養殖技術研究も三重県では?と思われる人が多いかもしれない。御木本幸吉が真珠養殖の研究をはじめるにあたって教えを請いに行ったのが、神奈川県の三崎臨海実験所の箕作佳吉教授だった。
その後、研究所にいた西川藤吉が三重県の鳥羽に招かれる。御木本の真円真珠養殖は西川藤吉の研究成果とも言われる。
ところで、この海洋学習は、西川藤吉の研究の話とか、日本人が確立した真珠養殖事業が世界に広まったというような話をしているだろうか?地元の研究者の成果が世界的な養殖真珠マーケットを作ったという話は興味深いと思うけど。
*西川藤吉の子孫が「真珠の発明者は誰か?―西川藤吉と東大プロジェクト」という本を書いている。これは真珠養殖の発明者は御木本幸吉ではなく西川藤吉だという内容。この本のことも以前にこのブログに書いたような気がする。
三崎臨海実験所の話は以前にも紹介したと思うのだけれど、東京大学のサイトから再び引用しておく
臨海実験所と真珠養殖技術開発の絆
(略) 真珠養殖の開発は,東京帝国大学臨海実験所の初代所長である箕作佳吉教授と,御木本幸吉氏の共同研究に始まる(1890年・明治23年)。御木本氏は伊勢志摩で研究を続け,3年後に貝殻の内側に形成されたドーム状の半円真珠を得ることに成功した(表紙)。半円とはいえ十分に価値のあるものだったことは,1896年のコロンビア世界博覧会で,箕作教授が立案者として表彰されていることからも察することができる。半円真珠は貝殻から切り出され,装飾に使われていた(裏表紙a,b)。いっぽう,東京大学でも研究が精力的に進められ,三崎臨海実験所では,研究生の西川藤吉氏が球状の真珠(真円真珠)を得る技術を開発し(図2),1907年(明治40年)に特許を申請する。西川氏は御木本氏の次女と結婚し,ミキモトにも貢献するが,特許が受理されるのを待たずに1909年(明治42年),若くして他界する。研究は臨海実験所助手の藤田輔世に引き継がれ,大正時代まで続く。しかし,学術的な成果は十分に得られたとして東京大学は研究プロジェクトから撤退し,いつの間にか忘れ去られていった。いっぽう御木本氏は,養殖真珠を一大産業として発展させていくことになる。
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/treasure/10.html