南洋。南洋珠。パラオの真珠は黒蝶真珠か、白蝶真珠か。
私は南洋と聞くと中島敦を思い浮かべる。
中島敦は「李陵」、「山月記」が有名なのだが、やはり「環礁―ミクロネシヤ巡島記抄―」や「南島譚」のイメージなのだ。中島敦が南洋庁の役人としてパラオのコラールに赴任したのは1941年(昭和16年)で、中島敦の南洋物はその時の見聞がモチーフになっている。
パラオの真珠は黒蝶真珠か?白蝶真珠か?
真珠を扱ってる人は日本のアコヤ真珠と区別してシロチョウガイの白蝶真珠を”南洋”と呼ぶ。松月清郎氏は「真珠の博物誌」という本で次のように書いている。
シロチョウガイの真珠を「南洋珠」と呼ぶことがある。戦前に日本は南洋諸島と呼ばれる島々を占領していて、これらの島でシロチョウガイを使った真珠養殖が行われていたために、南洋珠の名前がついたのだった。同じ南の海育ちであるのにクロチョウガイの真珠のことはそう呼ばず、シロチョウガイ真珠だけを南洋珠というのはそのような歴史的事情によるものらしい。
歴史的事情というのは、つまり、南洋諸島で養殖されていた真珠だから南洋珠と呼ぶということだ。
ウィキペディアによれば南洋諸島というのは「かつて大日本帝国が国際連盟によって委任統治を託された西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々を指す。」とある。トラック、ポナペ、サイパン、パラオ、ヤルート、マーシャル諸島等々だ。
つまりパラオといえば南洋なので、やはりシロチョウガイの、白蝶真珠のイメージがある。南洋珠だ。
ところが、エントリーの最後に引用している時事新報の記事(1931年)に「すぐ近くのパベルダオ島にはクロチョウガイはいるがシロチョウガイはいない」と書いてある。パラオ周辺にはあまりシロチョウガイは生息していなかったらしい。
シロチョウガイの生息地はオーストラリア、ニューギニアに連なるアラフラ海に多い。真珠採りで有名なブルームや木曜島方面だ。アラフラ海ではシロチョウガイを採るために日本の船も操業していた。真珠養殖のためにアラフラ海からシロチョウガイを運ぶといったようなこともあったらしい。
それらの真珠採りの船はパラオを根拠地にしていたらしいから、南洋パラオにシロチョウガイのイメージがついたのではないだろうか。
1923年(大正12年)に御木本真珠養殖場がパラオで養殖を開始している。が、好結果が得られなかったという。前述の時事新報の記事では「現在四万個の養殖を行うに至った、年産額も四万円を下らない、」と大成功のように書いてあるのだが。この記事は宣伝のようなものだったのだろう。
昭和16年(中島敦の赴任と同年だ)に南興水産株式会社パラオ本店に赴任した小深田貞雄氏がこう書いている。
私は昭和16年(1941年)3月にパラオ本店勤務となった。(略)
波の高い八丈島沖を過ぎ南洋群島の最北端で噴煙をあげるウラカスを望み、窓をかすめ飛ぶトビウオを眺めながらの約1000浬(かいり)の航程である。サイパン、ヤップを経てパラオ、マラカル島の波止場に第一歩を印した。
波止場には数隻のダイバーボートが繋留されていた。アラバケツの建築後間もない南拓社員社宅に落ち着いた。この社宅から林を抜けて岩山湾に出ると、御木本真珠の真珠養殖場があった。ここでは黒蝶貝を母貝とする真珠養殖が行われていた。私が旧制佐賀高校にいたとき、同じ下宿で暮らした小川平二さんの弟の平三さんがパラオで白蝶貝養殖に成功していた。真珠貝養殖はヤルートでも行われていた。
(引用 南洋群島時代の水産業)
御木本真珠は黒蝶貝を母貝とする真珠養殖をしていたとある。白蝶貝養殖も成功していたらしい(真珠養殖の成功とは書かれていない)。
1942年3月 。戦争の激化により、中島敦はパラオから日本に帰国する。
パラオの真珠が黒蝶真珠か白蝶真珠か。南洋諸島が戦場となったために黒蝶真珠養殖も白蝶貝養殖も継続されなかった。つまり、よくわからない。
現在のパラオ共和国では海洋保護記念銀貨が幾種類も発行されていて真珠がモチーフのコインも多い。
下のコインはクロチョウガイがモチーフ。
神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 東南アジア経済事情(7-018)
時事新報 1931.6.29-1931.7.14 (昭和6)コロールの真珠
コロールの水産業中見落すことの出来ないのは真珠事業だ
パラオに於ける最初の真珠養殖は安達逓造氏によって着手されたが数年を出ずに失敗し 次ぎに黒田氏が継承したが元々専門的手腕を有せぬ為め之亦前者の轍をふんでしまった
大正七年、安達氏が事業を始めてから八年目、遂に現在の所有者御木本真珠王が大正十五年時価七万五千円で買取り現在四万個の養殖を行うに至った、年産額も四万円を下らない、
此の地方には元来真珠貝の棲息を見ないのであるが、直ぐ近くのパベルダオ島には可成りの貝が棲息しているので、年々島民が採った真珠貝を買って此の地で養殖をしているのである、貝には白蝶貝と黒蝶貝の二種あり概して白蝶は黒蝶に比し美しい光沢を有しているが此処には黒蝶貝のみで白蝶貝は居ない
養殖は其の黒蝶貝の肺臓に支那で産する貝をまるく切り種玉として二分から二分五厘の直径ある玉を入れるのであるが、其の種玉は保護を加えて海中に放ち二年を経た後は完全に真珠としての燦たる姿となるのである、
昨年は千五百個程真珠として物になったが今年の予定は八千個だといっていた、
貝はタコの被害を避くる為め金網の中に入れて置く、貝は水温が暖かければ暖かい程成長するが、日本内地の貝は貝其の物が小さいので南洋の物とはくらべ物にならない、
就中首飾りにする真珠は必ず下部の球は大粒でなければならぬので此のコロールで作られる大粒真珠が重要なる役割を務めている訳である (原文ママで改行だけ入れた)