アフリカのスーダンにあった黒蝶真珠養殖場

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1967年。アフリカのスーダンで真珠養殖を試みた日本人がいた。東京水産大学増殖科出身の横溝節夫である。(アフリカで真珠養殖が試みられた事実を、私はこの横溝氏の著作「タカポト島の黒い真珠」を読むまで知らなかった。)

1962年、大学を卒業すると早速南洋真珠に取り組むチャンスができた。まずオーストラリアの木曜島、次は戦前から真珠養殖の歴史のあるインドネシアのブートン島、次は天然真珠の産地である紅海のドンゴナブ湾・・・・・(タカポト島の黒い真珠 まえがき)

当時、黒蝶真珠の養殖にまだ誰も成功していなかった。当初は「失敗してもともと、成功すれば儲けもの」という気持ちだったらしい。

今も美しいドンゴナブ湾のサンゴ礁の画像。

スーダンのサンゴ礁01 スーダンのサンゴ礁01 (Google Map) スーダンのサンゴ礁02 スーダンのサンゴ礁02 (Google Map)

私達の仕事はドンゴナブの養殖クロチョウガイを使って黒真珠を作ることであり、仕事をすすめてゆくのはスーダン政府と日本側企業との役務契約にもとづくものである。はじめは資源調達。それに企業としての可能性をみきわめるための試験的な真珠養殖など、初歩的なことからスタートした。(タカポト島の黒い真珠 114ページ)

クロチョウガイの真珠養殖が難しいと言われていた理由は、

  1. 病気に弱い
  2. 安定して供給できる生息地が発見できない
  3. アコヤガイと体内の構造が違うため核の挿入が難しい

ということだったが、当地ではクロチョウガイの量産に成功しており年間20万貝の稚貝が採取できたので、供給は問題なかった。

挿核試験の一ヶ月後に真珠層を確認。ドンゴナブ湾での黒蝶真珠養殖は成功すると思われた。

が、2シーズン目の1969年3月。クロチョウガイの原因不明の大量死によって真珠養殖は失敗してしまう。稚貝から施術貝あわせて約100万。

壊滅。

養殖していたクロチョウガイの数がドンゴナブ湾の能力を超えてしまったのか。長年のクロチョウガイの養殖によって海の状態が悪くなっていたのか。とにかく直接の原因はわからなかったらしい。

横溝氏はこのように書いている。

クロチョウガイは病気に弱いのが今まで産業化できない原因の一つと言われてきたが、このすさまじいハプニングも、われわれが自然の摂理というロジックを中断したという点をおおいに反省しなければならないと思う。(タカポト島の黒い真珠 144ページ)

失意のうち1970年5月帰国。

  Google Mapリンク→スーダンにあった真珠養殖場の位置

スーダンの位置 真珠養殖場の位置(☆マーク)

*現在の内戦中の南スーダンは海のない内陸部である。

 

◇横溝氏タカポト島へ

1971年 タヒチ政府は旭光産業の真珠養殖技術者を招聘する。横溝節夫である。

2年後にタカポト島で約1000個の真珠を収穫。この成功によって真珠養殖はタヒチにとって観光に次ぐ第二の産業となっていく。

タヒチの成功の裏にはスーダンはじめ各国での経験が生かされたのだろう。スーダンで成功していればスーダンブランドの黒真珠ができていたかもしれないと思うと興味深い。

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